じいさんの歌ばかり‥‥

canoe-ken2007-08-30

大佛次郎の随筆を読みたいな、とずっと思いつつも、機会がなく時間が過ぎてしまった。「猫のいる日々」について書いたのが去年の3月、ようやく2冊目です。
日々の移り変わりや出来事をとおして想う事柄が、適度な力加減でつづられていていい随筆だなぁと思う。10年後ぐらいにまた読み返したい。実際のところ、読み終わった直後にまた読み返したい、と思わせる随筆やエッセイはそれほどないものなのだ。ちなみにあとがきは永井龍男。これから10年、20年経って新しい作家との出会いがあったとしても、この大佛次郎永井龍男吉田健一小沼丹井伏鱒二木山捷平といった作家は、ときおり読み返すことになるのだろう。

そんなことを考えたのは、夏の初めくらいに、今買っているこのCDを自分はいつまで聴き続けるのだろうか、自分にとって一生つきあっていけるアーティストやジャンルはなんなんだろうか、ということを、ふと思ってしまったから。少なくとも60や70歳になったとき、ハーフビーやジャスティスは聴いていないのではないだろうか。ソフトロックやギターポップはどうなんだろう?ボサ・ノヴァ?ジャズ?なんて考えたり‥‥。でもこれから20年、30年後と思うと、1960年代の音楽なんて60年、70年前の音楽になってしまうのか、なんて計算をすると愕然としてしまいます。まぁどうでもいいことだけれど、どうなっちゃうんでしょうねー。そもそも今持っているCDを20年、30年後に聴くことができるのか?という疑問もありますしね。そういえば昔、CDが出始めた頃、CDのデータは10年くらいで全部消去されてしまう、なんて噂もあったな〜

で、おじいさんになっても演奏したり歌ったりしている音楽ならば、歳をとっても聴き続けられるのではないか、という安易な考えのもと、今年の夏は、おじいさんのCDばかり聴いてました。
まず頭に浮かんだのが顔が、イブライム・フェレールカルトーラ、それからリコ・ロドリゲス、アンリ・サルバドール。とりあえず、ブームから10年遅れの「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」から聴いてみたら、あのときは嫌な経験もあってキューバ音楽を聴く気になれなかったのだけれど、今聴いてみるとよさがわかるというか、あのとき聴かずに今になってはじめて聴いてよかった、なんて思う。映画公開後に、ルベーン・ゴンサレスコンパイ・セグンド、エリアデス・オチョアといった人の単独のCDが意外とたくさん出ていたのにびっくりしつつ、このまま古いソンまで聴いてみるかどうかちょっと思案中。やっぱり個人的には、ファニアみたいな盛り上がりまくりのサルサよりも、ゆったりとしたメロディが心地よいソンの方が好きだ。

サンバのほうは、もともと好きだったカルトーラをはじめ、ネルソン・サルジェントやギリェルミ・ジ・ブリート、オス・イパネマズ、ウィルソン・モレイラといったCDをよく聴いてました。
そんなわけで、コンポの横に積み上げられたCDのジャケットは、どれもおじいさんの顔ばかりで、平均年齢も80歳を越えているのではないかと思う。なんたって「愛するマンゲイラ」を発表した時のカルトーラの歳が69歳で最年少なのでは?という状態ですから。でも、どの人もいい顔をしていて、いつかこんなおじいさんになりたいなぁ、とコンポに入っているCDを変えるたびにちょっと思ったりもします。