43歳の“もう人生終わり感”

canoe-ken2008-07-07

まずは、お詫びと訂正。6月27日にオーディネールも閉店?と書いてしまいましたが、「spoon」の最新号を立ち読みしていたらお店の紹介が載ってました。ホームページがなくなっただけでお店はあるみたいですね。よかった〜。
ちなみに「spoon」の巻頭特集は「ブック エクスプローラー」。オーディネール以外にも本がたくさんあるカフェが紹介されていたり、いろいろな人が自分の好きな本を紹介していたりしてます。個人的には、「6月で30歳を迎えた市川実日子さん」という記述にちょっとため息‥‥。永遠の16歳(注:わたしのなかでは)実日子ちゃんも30ですかぁ〜。

先週は5日のうち4日飲んでました。異動の時期なので、必然的に多くなるとは思っていたけれど、さすがに4日目の朝とかはつらかったです。というか、1週間に3回も会社の(多少増えたり減ったりしているにせよ)いつものメンバーで飲んでいるのもいかがなものかと‥‥。残りの一日は、2月に飲みに行く予定だった小学校の同級生と。去年の同窓会に来れなかった人も来たりして4人で飲んだのだが、少なくとも中学以来20年以上ほとんど交流もなく過ごしてきたのに、なんだか普通に楽しく過ごせてしまうのが、不思議といえば不思議。これが30代初めだったら、そんな余裕はなかったと思うし、45過ぎとかだったらなんとなく後ろばかり向いてそうだし‥‥再会したタイミングもよかったのかなとも思う(あれ、前にも同じこと書いたような気も‥‥)。

山口瞳の長編小説というと、「血族」「家族」「居酒屋兆冶」「結婚しません」「結婚します」「けっぱり先生」くらいしか思い浮かばなくて、圧倒的に冊数の多い「男性自身」の中に埋もれてしまっている感じではある。作品自体もどこか「血族」以外はどこか散漫な印象があるし‥‥。(「血族」は執念だけで書いているという言い方もできますが)
さて、この「人殺し」は、ひと言で言うと、作家の井崎と銀座の酒場の女、瑛子の情痴小説、この二人の関係と、井崎と堕胎をきっかけに精神を病み、一人では電車も乗れないという井崎の妻、道子との関係が描かれている。
そしてタイトルの「人殺し」は、「瑛子が井崎を殺し、井崎が道子を殺し、道子という存在が瑛子を殺す。それは逆に回転しても同じことだった。瑛子が道子を殺し、道子が井崎を殺し、井崎が瑛子を殺す……。人間が人間にかかわることはお互いに殺しあうことではないかという暗い気持で充たされていた。」という井崎の気持ちをあらわしたものなのだが、この井崎の気持ちと3人の関係の描写に微妙なズレがあるように思ったりしてしまう。
それよりも43歳の井崎から強調される“もう人生終わり感”が気になってしまいます。というのは、先週、飲んだ同級生はもちろん、周りの40代の人を見てもそういう雰囲気がないから。と、同時に自分がいつまでも経っても成長していないな、とも思う。いや、1990年代の後半以降、自分が歳をとったせいで一年経つのが早くなって密度が薄くなって行く気がするけれど、まわりを見ていると、30代後半、40代になっても“老成”をしている人はいないし、ある意味、子供っぽいままだったりする。密度が薄くなっているのは、自分だけではないのかもしれないです。いや、適当。(次回、下巻に続く?)