「雨の日」−安藤鶴夫−

canoe-ken2006-07-26

なかなか梅雨が明けませんね。関東地方で梅雨明けが8月になるのは3年ぶりだとどこかに書いてありましたが、そう言われると意外とよくあることなのだなぁ、なんて思ってしまう。まぁ晴れたら晴れたで暑くていやになッちゃうんだけど。
まぁ3年前と言われても、その年の夏に自分がなにをしていたかぜんぜん思い出せない。そもそも去年のこともあんまり覚えてなくて、ときどきこれからどうなっちゃうのだろうを心配になったりもします。基本的に平日は会社に行ってるわけだから、記憶に残るようなことは1カ月に10日くらいしかないし(そういうわけでももないかな)、去年も一昨年も3年前も、例えば横田基地の友好祭に遊びに行ったりと、同じようなことばかりしているので、どれがどの年なのかこんがらがっちゃうのですよ。学生の時だったら、1年前は高校生で、3年前は中学生などと、違いが出るものだけれど、いまとなっては、3年前は係長だったけれど、去年は課長で、今年は部長、なんてこともないしねぇ。

というわけで、安藤鶴夫の「雨の日」を読んでみる。いや偶然。表題の「雨の日」は、尊敬する小泉信三が亡くなる前の半月前に3度も会い、そのうち一回は初めて一緒に食事をしたこと、そしてその3回とも雨の日だった、という追悼文。「自分が慶応を出ていて、先生の弟子か、後輩としてだったら、さぞ、うれしいだろうな、ということだけは、よく思った」という言葉に、私もそういうことを思ったことがあるだけに共感を覚えます。