「山口瞳の人生作法」−山口瞳−

canoe-ken2005-08-04

生前、交流があった多くの人たちに、死後これほど愛情を持って語られる作家というのも例がないんじゃないだろうか。担当した編集者、作家仲間から行きつけの飲み屋の主人、近所の住民・・・・など、誰もが機会を与えられれば(いや与えられなくても?)懐かしそうに山口瞳との思い出を語る。ほんとうに不思議な作家だと思う。でもその反面、誰もがその作品と山口瞳の生き方や信念、そしてそれを読んだ自分自身の気持ちが抑えられなくて、この作家の作品を純粋に、あるいは客観的に批評するといったことが行われにくくなっているのかもしれないとも思う。もしかしたら1990年代以降、オヤジの小説・エッセイとして黙殺されてきた(それは私か?)、山口瞳の作品が純粋に批評・評論していくのは、このブームのような再評価の後、これからなのかもしれない。

週末、コマツくんが、阿佐ヶ谷の造園屋さんの温室で、定期的に行っているフリーマケットに行ってきました。コマツくんは我々というバンドのヴォーカルをやっている人。ということぐらいしか実は知らない。前はパルコで働いていたけれどいまはどうなのだろう。そもそも歳もわからない。そして不思議な交友関係を持っていて、その前の週は高円寺にあるOZという古本屋さんの一日店長をやってました。それにも寄ったので、2週続けて会っていることになりますね。ちなみにその前にあったのはいつだったか忘れたけれど、荻窪の古本屋だった。なぜかコマツ君とは、街で偶然に会うことが多い。高円寺の時は、私は六本木で行われた友達の結婚パーティに行く途中だったのですが、OZを出た後に総武線に乗っていたら地震に遭ってしまい、大久保で1時間以上足止めされて、結局、かなり遅れて会場に着くという羽目になったのだけれど、コマツくんは、狭い店の中で古本やCDが倒れてきたら・・・・と思って必死に本やCDの棚を押さえていたそう。地震の後、友達のBBSやブログに「家の本棚が・・・・」とか「レコード棚が・・・・」といった言葉があふれていて笑ってしまったけれど、古本屋で地震に遭うのはちょっと怖いかも。ちなみに私の家は本もレコードも大丈夫でしたが、フレッドくんやアンクルトリスの人形が落ちてました。
さて、阿佐ヶ谷温室フリマ。出店していた人が女の人ばかりだったので、私にとっては買うものもあまりなかったのですが、ちょっとだけ涼しくなってきた夕暮れに、細い路地に集まってビールを飲みながらしゃべってました。温室だけに中にはいるとちょっと暑い。昼間はどうしていたのだろう。秋ぐらいになって涼しくなってきたら、私も本とかおもちゃとか持って、出展してみようかな、なんてちょっと思ってます。