「早稲田の森」−井伏鱒二−

canoe-ken2005-08-05

井伏鱒二は生涯にどのくらいの本を出しているのだろう。文庫本で読めるものだけでも読んでおきたい、と思って、文庫についてはリストを作ってみたりしていたのだけど、いつの間にか単行本を買うようになってしまった。この本もそうですが、井伏鱒二の単行本は、普通の単行本のサイズよりも少しだけ横幅が広くて、正方形に近い形が多い。違う出版社から出ているものでも同じような形なので、井伏鱒二自身のこだわりだったのだろうか?よくわからないけれど、個人的には、なんだかちょっとだけ豪華というか、ちょっとだけ違う感じが出ていて、この形が気に入っていたりする。この「ちょっとだけ」というのがポイントです。ただしうちにあるスライド式の本棚の奥の棚に入れると頭が出てしまうので、手前のスライドが動かなくなってしまうのが難点。当たり前の話だけれど、スライド部分は容量が少ないんですよね。

「早稲田の森」は、1972年に刊行された本で、第23回読売文学賞を受賞しているらしい。内容は、井伏鱒二が早稲田周辺に下宿し、大学に通っていた頃、近くに“箱根山”と呼ばれた東京都内で一番高い森があって、それが消えてなくなってしまった、ということを中心に、その頃の早稲田の町や地形、よく通ったお店、学友などの思い出話がつづられている。このほかには、相変わらず釣りに関しての昔話や日経新聞に掲載された「私の履歴書」(この本に収録されるにあたり「半生記」と改題)、木山捷平の詩碑の落成式の様子を書いたものをなどが収録されている。
これに限らず、井伏鱒二の文章からは育ちの良さがにじみ出ている。実際にはどのくらい本が売れていたのか、生活的に厳しかったのか楽だったのか・・・・など、よくわかりませんが、どんな場面でも、気持ちにも行動にも、常に余裕が感じられる。「半生記」を読むと父親を早くに亡くしているようだけれど、母親や兄弟、祖父や祖母に愛され、かわいがられながら育っていったのだろうな、と思う。井伏鱒二の文学には、反抗とか自分を追いつめた切実さ、ガツガツした上昇志向・・・・といったものはない。その辺が、金持ちだったけれど、自分を追いつめていった太宰治と評価の大きく分かれるところなのかもしれない。適当です。

話は変わりますが、私が住んでいるマンションでは7月からケーブルテレビが見られるようになりました。そのせいで、もう家にいる時はほとんどスペースシャワーTVだとかMUSIC ON! TVだとかMTVばかり見てます。もうニュースもぜんぜん見てない。地上波で見てる番組といえば、「サクサク」くらい。それで最近の音楽に詳しくなったかといえば、よくわからない。ずっと見てると、どの局でも、いつでも、同じような曲ばかりかかっているような気もする。それじゃ、どんな番組や音楽が聴きたいのさ?、と聞かれてもよく分からないけれどね。
で、今日はヘアカット100のライブを見ました。懐かしすぎ。ラテンなのになぜか盛り上がりに乏しいリズムが、今聞くと逆に新鮮だったりする。レコードさえももう何年も聴いていないのに、なぜか口ずさめてしまうのは、さすがに10代の頃に聴いた音楽だけのことはある。ニック・ヘイワード若いのにオヤジだなぁ、なんていいながら、盛り上がってしまった。・・・・・・・・のだが、ライブが終わって最後のクレジットを見ていると「ライヴ1983」というタイトルが!あれ?????1983年ってすでにニック・ヘイワード脱退してません?というか、もうソロ出してるはず。私が中2のときですよ。というわけで番組表をネットで調べてみたところ、ヴォーカルはマーク・フォックスでした。残念。