「白い屋形船・ブロンズの首」−上林暁−

canoe-ken2005-01-26

こう言ってはなんだけれど、阿佐ヶ谷文士、鎌倉文士、私小説家という偏った本ばかり読んでいるせいで、この上林暁木山捷平、外村繁、尾崎一雄・・・・など、それぞれの作品の内容や経歴がごちゃごちゃになってしまい、本を読んでいると、「この時期に大きな病気になったのは●●●じゃなかったっけ」とか「この人は一度小説家になることをあきらめたんじゃなかったっけ」などと思ったりする。特に私小説は自分の経験を元に作品を書いているので、そもそも作品の内容が、そのままその作家の経歴や私生活・日常とものすごく近い。そして近くに住んでいたり、一緒に飲みに行ったりと交流が多いので、当然、ある作家のことが、違う作家の、しかも複数の作家の作品に、違う視点から出てきたりして、読む方は余計混乱する。それも読み続けていればいずれ把握できるようになるのだろうか。逆に、そういったものをごちゃまぜにしたまま、架空のひとりの作家としてとらえてみるのもおもしろいかもしれない、などど勝手なことを考えたりしている。