「引潮」−庄野潤三−

canoe-ken2005-01-11

「これは瀬戸内の島を生れ在所として七十年あまりの年月を、大工の道具、鼻に汗をかく牛、寝たふりをする狸、帆船の航海の苦労、高等科で習ったローマ字、製図の文鎮、台湾の子供たちのくれた旗、めばると海鼠、婚礼の歌、木で作った金庫、白狐を捕らえた木挽の友達、だいがら臼、輸送船の中で見た鱶、フィリピンの水田の印象、虫送り、苗床の泥を取りに来る燕、おじいさんの湯呑・・・・とともに生きて来た倉本平吉さんの物語である。」(あとがきより)

広島から汽車とバスと連絡船を乗り継いで行ったところにある棚井津という部落に住む倉本さんのところに庄野潤三が訪ね、上記のあとがきにあるような倉本さんの人生におけるエピソードを聞いていくというスタイルの作品で、ほぼ全編、倉本さんの方言をそのままにした語りによって進んでいきます。小説としてよりも明治・大正・昭和を生きたひとりの人生を残しておくべきだという思いによって書かれたのだろう。方言を含めて同じようなエピソードが何回も出てきたり、時には話がとんでしまったりするし、文章による説明は必要最低限におさえられているので、じっくりと読まないと話の内容が分からなかったりする。しかし、それは倉本さんの話をじっくり聞くことが大事だったからで、それを読む方も流して読んだりするべきではないということなのだ。ということを思いつつ読んでいたのだけれど、実際文章や内容を含めて読みにくいことは読みにくいかもしれない。

話は変わりますが、年末にスーザン・ソンタグは亡くなったんですね。先日、友達と飲んでいて初めて聞いて、ちょっと検索してみたのですが、死因は急性骨髄性白血病、71歳ということ。最近でも、テロ以降でも「テロよりもアメリカの方が卑劣」みたいなことを発言したりしてたのに。実際、テロについては、ほとんどの作家・批評家が沈黙してしまっていたので、スーザン・ソンタグの発言は際だってしたような気がする。なんてことを書きつつ本の方は読んでなかったので知らなかったけれど、その9・11に関することをまとめた「この時代に想う/テロへの眼差し」は、アメリカでは出版されずに日本のみの発売。うちにあった「写真論」や「ラディカルな意志のスタイル」、「土星の徴しの下に」・・・・といった本が、もう手元にないので、読み返すということはできないけれど、この「この時代に想う/テロへの眼差し」は、これを機に読んでみるのもいいかもしれない。