「阿佐ヶ谷日記」−外村繁−

昭和32年末に上顎腫瘍が発見され癌と診断され、昭和35年には妻てい子が乳癌の手術を受けるという夫婦そろって癌におかされてしまう状況で、庭の自然の移ろいや、前妻との五人の子供達のこと、老いた母のことなどを綴った日記。昭和35年9月から昭和36年7月まで週一回、「化学時評」に連載された。
外村繁は昭和36年7月28日永眠なので、死の直前まで執筆が続き、しかも日記の最後の日付である昭和36年7月6日には、その回分だけは末尾に(つづく)とカッコ書きされているのがなんだか痛ましい。この号の後、「暫く休みたい」という連絡があったとのこと。またてい子は、夫を追うようにしてその4ヵ月後の11月26日に亡くなっている。

外村繁が「阿佐ヶ谷日記」という本を出していることを知ったときは、こんな本だとはぜんぜん思っていなくて、井伏鱒二の「荻窪風土記」のような、阿佐ヶ谷文士の交友録、回想録みたいなものが中心に描かれていると思ってました。これはこれで興味深いけれど、先の「ペンの散歩」と同じく、さすがにこういう心境に共感するという気持ちには、まだまだなっていない。20年後、30年後に読んだらまた違う気持ちになれるのかもしれない。その頃までこの本を持ち続けているかどうかは不明ですけどね・・・・。

まだまだ勉強不足で著作を1冊も読んでいない人ももちろんたくさんいるけれど、なんとなく出てくる作家が分かるようになってきたせいで、最近、少しずつ作家の回想録を読むのが楽しくなってきた。交友録に出てくる人というのは、基本的には大きく分けて師弟関係の人、同人誌仲間、同じ学校に通っていた人の3つになると思う。そしてなにかある度に酒を飲んだり、議論を戦わせたり、愚痴を言ったりしている。
そうした行き来や交流に関しては、良い面も悪い面もあるだろうけれど、同人誌仲間の作品を直接読んで同じ誌面に載せるというや、師匠の作家のそばにいてその人を直接見ることで、それぞれが切磋琢磨されていったのだろう。仲間であると同時にライバルでもあっただろうし。