「ペンの散歩」−尾崎一雄−

昭和50年から52年にかけて書かれた下曽我での身辺雑記。
私は小学校から大学まで二宮に住んでいたので、ここで書かれている土地とは近いのだけれど、行ったことはない。曽我といえば梅林が有名だけれど、若いときはそんなものには興味ないし(今でもないけど)、作家にまつわる場所を巡るような趣味もない。でも高校の時、図書委員だったのだが、平塚−大磯−二宮−小田原に関係の深い文学者の旧家や記念碑、お墓などを取材して、神奈川新聞に連載したことがあったっけ。ぜんぜん興味がなくてほとんど書かなかったし、どこに行ったのかも忘れたけど・・・・。

話をちょっと戻すと、私が小学校に入ったのは昭和51年なので、二宮に行ったばかりの頃にこれが書かれていたと思うと、ちょっと感慨深い。今もそれほど発展しているというわけではないけど、その頃の二宮はほんと田舎で、道も近くのトンネルも舗装されていなくて、家もまだそんなになくて、古い農家が散在していたり、道からちょっと入ったところには普通に牛が飼育されていたり、田圃が広がっていたりしていて、横に小さな川が流れているような砂利道を歩いて学校へ行ってました。さすがに普通の教室としては使われていなかったけれど、木造の校舎がまだありましたね。いや、横浜から引っ越してきた私としては、ホント「なんて田舎に来ちゃったんだ」と思ったものです。
そんな風景が思い浮かんできたりしつつ、そういえば、箱根、曽我と偶然にも神奈川の西のほうが続いたな、なんて気がついたり。書くと長くなってしまうので書きませんが、神奈川も狭いのにそれぞれの土地の文化圏が違うし、ある意味政治的な思わくがあったりするので、なかなか難しいわけです。