「三文紳士」−吉田健一−

戦後に文藝春秋の会社の前でゴザを敷いて入ってくる知り合いの作家に物乞いをしたというエピソードと吉田茂の息子であるという事実や「瓦礫の中」「東京の昔」に出てくるようなそれほどお金持ちではないけれど貧乏というわけではけしてないある意味有閑階級的な登場人物たちのイメージがどうも自分の中で結びつかないのではあるけれど、それこそが吉田健一のいう「乞食王子」ということになるのかもしれない。

戦後の一時期吉田健一も鎌倉に住んでいたことがあったようで、この本では少しだけその頃についてのことが書かれていたり、永井龍男などの名前も出てきた。いろいろ調べている割には鎌倉と吉田健一というまったく考えてもいなかった2つが関連していたことを知ってちょっとびっくり。でもいわゆる鎌倉文士といわれる人々との交流はあまりなかったよう。
というか吉田健一を鎌倉文士という名でくくってしまうのは違和感がある。「交友録」を書いているくらいなので多くの友人がいたのだろうけれど、私の勝手な思いこみの中では大勢の仲間とつるんだり、言い方は悪いけれど作家の派閥みたいなものを作ったりする、というのは吉田健一らしくないような気がする。

さて昨日からミオ犬が長崎に帰省しているので一週間一人暮らし。前々からこの時期に帰ることがわかっていたのでそのときは思い切ってちょっとした一人旅に出てみようなどといろいろ考えていたのだけれど、実際にこのときになってみると全然そんな余裕はないという状況になってしまいました。もっともこの暑さではどこかに旅行に行って名所や街の中を歩き回ったりする気分にもなれず、それよりも週末近所を自転車でうろつくのさえ億劫になりそうな感じです。

まだ7月というのにこんなに暑くていいんでしょうかね。暑ければ暑いで温暖化なんて言って、雨が続けば鬱陶しい毎日なんて言ったりするのだろうから勝手といえば勝手で、本当ならば暑ければ暑いなりの生活を、雨ならばそれなりの生活を送ればいいのであって、それを人間の無理やりな一つの生活に当てはめようとするから無理が出てしまうわけなのだが、そんなことを言っても生活が変わるわけでもないわけで、けっきょくこういう日にできることと言えば会社が終わったらビールでも飲みに行くか、お風呂から出たあとにアイスクリームを食べるくらいしかなく、そういう意味で適応する幅が少ないということで自分の生活の貧しさを感じたりもします。ひさしぶりに海やプールにでも行きたいね。