「絵空ごと」−吉田健一−

吉田健一の小説は全部絵空ごとである、なんて言いつつ、でも吉田健一の小説のおもしろさはただそういうストーリーを追うところ以外にあり、また小説というのは結局のところどれも絵空ごとに過ぎないという吉田健一のメッセージもこめられているんだ、といったことはきっとどこかで誰かがもっと説得力のある文章で書いているだろうから、私が書いてもしょうがないわけなのだけれど、それとは関係ないことかもしれないが、とりあえずある本を読んでいるとその本を読んでいるその合間はなぜかその作者の文体で考えてしまうということで、ついこんな長い文章を書いてしまうわけです。

でもいくら吉田健一のスタイルで考え事をしていたとしても考えている“脳”は私のいつものさえない脳なわけで、いくら考えてもすばらしい答えが出てくることはないのだけれど、ふと片岡義男のエッセイを読んでいたときに出てきた「英語でものを話すことは、英語で考えることであり、強いては英語(圏)の考え方や論理の組み立ての学ぶことだ」という文を思い出して、吉田健一の本じゃなくてもいいんだけれど、ある作家の本を読み続けるということは、その内容だけからでなく自分の考え方さえもその作家に似てくるのかもしれない、なんてあたりまえのような結論に辿り着く冬の帰り道なのでした。