「私の浅草」-沢村貞子-

私は別に懐古的ではないと思うけれど、年末が近づく頃になると日本的な文章が読みたくなってしまい、20代の頃でも普段はアメリカやラテンアメリカの作家の本ばかり読んでいるのに、12月になると池波正太郎の本ばかり読んでいました。この「私の浅草」もその頃から読みたかった本で、でも「暮らしの手帖」+「昔の浅草」+「沢村貞子」というストレートな組み合わせが恥ずかしくて買うことができませんでした。

今でもその直球さがどこか居心地が悪い気もするけれど、あんまり気にしないことにしよう。この本で描かれるのは沢村貞子が子供だった頃の浅草で暮らす人々なんですけれど、彼女の目に映る大人たち(特に女性ですね)はどこか哀しい。
子供なので実際に何が理由なのかはっきりと分からないけれど、でも大人たちの哀しげな表情やしぐさが妙に心に残ってるってことがあると思うのですが、そのもどかしい中の悲しさと今はもうない浅草の風景が混ざり合って、思っておいなかった感情が本から醸し出されてくるようです。

強引な話ですけれど、本にはいっぺんに読んでしまわない理解できない本と、ゆっくり読むことでその間に行間から文章からすぐに読みとれなかった感情が浮き出てくる本があると思うのだけれど、この本は明らかに後者です。どちらがいいというわけではないけどね。
あぁいっぺんに読んでしまって失敗した!