「パラノイド・パーク」

canoe-ken2008-05-12

“自伝”というタイトルではあるけれど、もちろん順序立てて書かれたものではなく、少年時代のことや10代、20代のことが書かれたバラバラのエッセイをまとめたもの。なので、普通に本のことが主として書かれているのに、導入として昔の思い出話が書かれているだけものも収録されていたりします。まぁそれはそれなんですけどね。それにしても、植草甚一の文章ってこんなに脱線を繰り返していたのかな。

週末は、天気が悪かったせいもあって、ガス・ヴァン・サント監督の「パラノイド・パーク」を観に行ってきました。前に観た映画が「マイ・ブルーベリー・ナイツ」だったから約1か月半ぶり。最近は観たい映画があまりない、ともうずっと言い続けてるような気がします。ほんとは連休中に久しぶりにラピュタで一日映画を観てみようかな、なんて思ったりもしたんだけど、「ピンク映画」特集だったんですよね〜。
マイ・ブルーベリー・ナイツ」は、基本的には、ロードムービーだと思うのですが、映像的にはカフェやダイナー、バーなどの室内のシーンばかりという不思議な映画でした。ある意味ウォン・カーウァイらしい?ウォン・カーウァイは「恋する惑星」のイメージが強すぎますね。そのあと木村拓哉主演の映画を撮ったりして、醜態をさらしちゃったし‥‥
話がそれてしまいましたが、ふとした偶然から鉄道警備員を死なせてしまったスケボーに夢中の16歳の少年の、その後の日常と不安を描いた「パラノイド・パーク」、追いつめられていく主人公の葛藤の描き方が、大げさにならず淡々としていて、でもどこかに心理的な救いの手をさしのべるような暖かさが垣間見れてよかった。これをラリー・クラークとかケン・ローチが撮っていたら、見終わったあとやりきれない気持ちになってしまうだろうなぁと思う。昔の映画音楽やミュージカルから、ロックンロールやリズム&ブルース、そしてエレクトロニカまでをつないでコラージュした音楽も、そんな主人公の気持ちや映像とマッチしている。また話がそれるけれど、積極的なせいかしっくりとこない恋人に別れを告げるシーンで、「アマルコルド」のメロディが言葉のかわりに流れるのを聴いて、「マイ・プライベート・アイダホ」に出ていたリヴァー・フェニックスフェデリコ・フェリーニは同じ日に亡くなったんだった、なんてことを思い出したりしました。次の日くらいにフェリーニが死んだことをバイト先で友だちと話してたら、フェリーニに全然興味なさそうな人が話に入ってきて、しばらく映画の話をしているうちに、「もしかして違う人のこと話してる?」みたいなことになったのがなつかしい。
あと、スケボーのシーンもそれだけで成立するくらいかっこよかったですね。と思って調べてみたら、撮影監督は、クリストファー・ドイルでした。う〜ん。