古今亭駿菊独演会

canoe-ken2007-11-21

庄野潤三が1957年秋から翌58年夏まで、米国オハイオ州ガンビアのケニオンカレッジに留学していたときのことを、後年、そのときの日記を見ながらつづったエッセイ集。
ガンビアのシリーズとしては、留学生活の前半を描いた「ガンビア滞在記」が1959年、その19年後、1978年にこの「シェリー酒と楓の葉」、後半を描いた「懐かしきオハイオ」は、さらに10年以上経った1989年という長いスパンで発表されています。なんとなく「ガンビア滞在記」など読んだようなエピソードがあるような気がするけれど、そんな気がするだけで、実際はどうなのかわかりません。でも今になると、さらさらと三冊続けて読むこともできますが、リアルタイムで庄野潤三の本を読んでいた人にとっては(もしくは庄野潤三本ににとっては)、ほんとに忘れられた頃に届けられる(書き始める)、という感じだったのだろうから、ある程度、エピソードを重ねることによって、前のエピソードを思い出してもらうという意味合いがあったのかもしれません。

週末は、古今亭駿菊独演会を見に鈴本演芸場に行ってきました。駿菊さんは、真打ちになった6年(くらい)前から、毎年秋になると独演会を開いてます。ここ3年くらいは毎年見に行っているので、駿菊さんの落語を聞くともう今年も終わるなぁ〜と思う。で、お正月くらいまでは、なんとなくまた落語でも聞きに行こうかとか、初詣は浅草にして帰りに浅草演芸ホールに寄ってみようか、なんて気分になるのけれど、実際に行くことはあまりない。今回は土曜だったせいもあって会場前から列ができ、開演時にはほぼ満席という盛況ぶり。こう言ってはなんだけれど、駿菊さん以外には特に有名な人も出ていないのにね。前座に出ていたのは、ミオ犬に記憶によると去年、座布団をひっくり返したりしていた人だったらしく、客席も暖かく見守るといった感じで、こういう人が、だんだんとうまくなって、やがては真打ちになったりするのを見るのも落語の楽しみなのかもしれないと思う。でも、それだけに駿菊さんが話し始めると、話に引き込まれてしまい、改めて駿菊さんの話のうまさを実感しました。特に2つ目の「宗萊の滝」は、人情話なので大きな笑いはない。それにもかかわらず、駿菊さんの身振り・手振り、手ぬぐい、扇子といった小道具だけで、観客を引きつける様子を見ていると、普段、“落語=笑い”のイメージを抱きがちだけれど、実は、落語のおもしろさはその話芸にあって、その中の一つの要素して“笑い”があるのだな、と思ってしまう。いや適当。

落語を“話芸”とするならば、小説は“文芸”って、あらら、そのまんま。小説の場合は、“文章”自体で引きつけるか、“物語”で引きつけるかという2つの選択肢があって、庄野潤三は間違いなく前者。でも、個人的には、昔ほど庄野潤三の文章に引きつけられるということがなくなってるので、前者の代表に選ぶのはちょっと‥‥という気はする。クセはないし、読みやすいんですけどね。