「冥途」と花見

canoe-ken2007-04-03

春の天気は変わりやすい。
先週の終わり、お昼ご飯を食べた後に、ひとりで会社の周りを散歩していたら、ちょっと路地に入った短い坂道の狭い階段の下のほうに太い大きな桜の木があって、坂の下の方から見上げると、道の方に曲がった太い幹に満開に近い桜の花が階段を背にして咲いている感じがとてもきれいだったので、明日はポラかC35でも持って会社に来よう、と思っていたら、次の日はあいにくの雨降り。週末を挟んで、それからまだその桜を見に行っていないのだけれど、まだ咲いているといいな、と思う。そもそも明日は晴れるのか?

夢というか妄想を、そのまま描いたような作品集「冥途」は、内田百けんの初期の小説(第一作?)で、なんの予告もなく、ある意味当然のように、不思議で不条理な出来事が起こり、時にはなんの解決もなく物語が終わったりする。まだ、全集を読み始めて4冊目だけれど、それまで読んだ本が随筆だったので、どう考えてもおかしな状況であるのにもかかわらず、どこか「実はこれは実際にあったことを書いた随筆ではないか」という考えが最後まで捨てきれず、逆に、普通の随筆を読んでいると、「これはまさか実際にあったことじゃないだろうなぁ」という出来事が描かれてたりすることもあって、なんだか混乱してしまった。

日曜日は、西荻まで自転車で行って、そこから20分くらい歩いて善福寺公園までいってみた。去年も同じ頃に同じように歩いて見たのだけれど、今年は桜の花が満開になってからはじめての週末だったせいで、公園の中は人でいっぱい。少し広くなっている場所では子どもたちが遊び回っていたり、どこからか打楽器やギターの音が響いてきたり、さすがに騒がしい。それでも、桜の花を眺めながらゆっくり歩くスペースは残っているし、午後から出かけてもシートを敷く場所も見つけられたりできるのが善福寺公園のよいところですね。もっとも、私は公園よりも、そこに行くまでに通るさくら町周辺の方が好きで、できることなら道の片隅に縁台でも置いて、ビール片手に花見をしたいなと思う。「三丁目の夕日」に出てきそうなこんな路地の隅っこで、ひとりお酒を飲んでぼんやりとしていたら、普通に猫に話しかけられたり、からすにからかわれたりしそう‥‥。