「ku:nel」(Vol.14/2005.7.1)

canoe-ken2005-06-16

別になにが忙しいというわけではないのだけれど、家に帰ってうだうだしているうちに、すぐに寝る時間になってしまい、雑誌などを読んでいる余裕がない。だからこの「ku:nel」も5月の終わりに、ポイント欲しさにわざわざタワーレコードまで行って買ったのに、ほとんど読んでないままテーブルの下に置きっぱなしのままです。それは多分、時間の問題というよりも気持ちの問題なのかもしれないけれど・・・・。
気持ちといえば、6月に入ってから、これまでよりも40分くらい早い時間、7時(正確には7時5分)に起きなくてはいけなくなってしまったのだが、6時半に一度目が覚めて、その後6時50分にまた目が覚め、6時55分に一度目の目覚ましがなり、そして7時5分に2回目の目覚ましがなって実際に起きる、という日々が続いている。寝るのも早いが、一度寝たら宅急便が来ても気がつかないほど眠り込んでしまう私としてはめずらしい。緊張しているのだろうか。

先日読んだ「わが切抜帖より」に、井伏鱒二のことを紹介した文章があって、それが頭から離れない。

井伏鱒二:本名、万寿次。明治30年2月、広島に生る。いわゆる中央線沿線作家の頭領として、地味ではあるが隠然たる勢力を持つ。有名な蔵書ぎらいで書斎には1冊の本もない」

永井龍男の言葉ではなく、何かの人名辞典から引用したものだが、井伏鱒二かっこよすぎである。そういえば、作家の随筆を読んでいるとたいてい、昔に買った本を取り出してその内容やその本を買ったときの思い出を語ったり、○○○○の初版本を手に入れたときの話などがたいてい一冊の本の中で2や3つあるものだが、井伏鱒二に関しては、ちょっと探し出して調べてみた、といったことはあまり書いていないかもしれない。自分で言うのもなんですが、私は買っている本の量に比べれば蔵書は少ないほうだ、と思う。といっても昨年は一年間で159冊なので古本マニアの方々にしてみれば大したことはない。でもそれを何年も続けている割には、一部はダンボールに入れてクローセット中やベッドの下においてあるけれど、いまだに普通のスライド式本棚1つのなかに収まっている。一人暮らしをはじめて初めて買った本棚1つで15年近く済ましているというのも不思議といえば不思議だ。そしていつのときにもその本棚には、これ以上はもう入らないだろうというくらい本が詰まっているという・・・・。
さて、「書斎には1冊の本もない」という状態にしたいと、この文章を読んでから真剣に思うようになった。いや、無理だろうけれど、いつかはそれに近くなるようになりたい。いつになったらなれるのか。それは単に蔵書は一冊もないが、在庫は○○冊あるという言葉の入れ替えになってしまうだけなのか。それは神のみぞ知る、ということで・・・・。