「眼中の人」−小島政二郎−

小島政二郎がまだ作家として独り立ちする前、“眼中の人”である菊池寛芥川龍之介との交流をとおして、自己を見つめ作家をして目覚めてゆく過程を描き、また菊池、芥川だけでなくさまざまな作家が登場し、大正の文壇を知るうえでも興味深い作品。

年少より鴎外・荷風に傾倒していた著者は、まだ「三田文学」いくつか短編小説を発表しただけのかけだしの作家、文学に対して文章に対してそれなりの信念を持ちつつもそれを作品として昇華することができないでいる。だが、二歳しか歳の変わらない芥川はすでに文壇の寵児で、自宅で開いていたサロンでは文学について議論でも、その知識の「差」は悲しくなるくらい大きい、一方、菊池も文藝春秋社の創始者として会社経営も切り盛りしながら、緊迫した人間心理を描いた小説を出勤前に20〜30枚書き上げる。そんな二人と食事に行ったり、旅に出たりといった出来事が語られ、そのたびに二人には「かなわない」と実感しつつも、やがて自分らしい自分の文学観をつかんでいきます。

そのときそのときの葛藤がストレートに書かれているので、読んでいると「芥川や菊池を相手になにもそこまで・・・・」という気もしないでもないのですが、この構図は、尾崎一雄志賀直哉の弟子となり、「志賀直哉にはかなわない」という認識から「自分自身のことをそのまま、うそ偽りなく書いていこう」と腹をくくるまでの過程とほぼ同じで、師匠・弟子という関係が文壇でいきていた時代にはこういうことが多かったんだろうな、と思う。ちょっと前の時代になるけど、夏目漱石の弟子なんて、ある意味作家を目指す人にとって、ものすごく残酷なことなのでは、なんて気がしてきたり・・・・。なんにしても誰かの弟子になるということはそういうことなのかもしれないけれど。