「御代の稲妻」−庄野潤三−

学問や研究のためではない読書なんてけっきょくの話、単なる現実逃避にすぎないわけで、10代20代の私にとって読書、あるいは本というのは「ここではないどこか」に連れて行ってくれる最適な道具だったような気がします(ある意味音楽を聴くとか、映画を見るというのも同じような行為ですね)。
その頃の私がアメリカ文学ばかり読んでいたのも、自分の知らない場所の自分と違う考え方をした人々の話を読むことが「ここではないどこか」への近道だっかから、なんてことをこのごろ思ったりもしてます。

そういった視点からいうと庄野潤三の本は、「ここではないどこか」というよりも庄野潤三の日常を、その毎日をつづったようなものばかり。特にこの本は随筆なので、家族とのやりとりや家の周り、近所での出来ごとなど、それが直に出ているように思えます。ただ「ような」と書いたのは、もちろんそのまま庄野潤三の毎日を工夫もなく書いているだけではないだろうからで、でもどちらにしろ全体を覆うのは「ここではないどこか」にはほど遠い(という書き方はなんか変だな)、淡々としたものだ。
そんな毎日を過ごしている、ものすごく身近でありふれた繰り返しの中にある何かにおもしろさを楽しめるようになったのは、単に「ここではないどこか」に自分を連れて行くだけの体力(想像力?)がなくなってしまっただけなのだろうか。よくわかりません。

久我山に住んでいたときは吉祥寺・西荻だった私の活動範囲が、富士見ヶ丘に引っ越してから、だんだん西荻荻窪になってきてます。単に古本屋に行ってるだけなんですけど、吉祥寺はちょっと一人で休もうかなというときに入る店がない、というのも大きな理由。でも西荻荻窪にはレコード屋があまりないのが欠点ですね。なんでないのかなぁ。荻窪にあったRAREもいつのまにかなくなってるし(吉祥寺に移動ってこと?)。
というわけで、昨日はレコード目当てに吉祥寺まで自転車で行ったのですが、吉祥寺に着く前の末広通りにBALLROOM RECORDというレコード屋さんができてました。とてもきれいな、おしゃれなレコード屋さんで、並べられているレコードもソウルからソフトロック、イージーリスニング、ラテンラウンジ、もちろんブラジル、そしてカリプソ、スティール・パンなど、なんだか見ているこちらが恥ずかしくなってしまうくらいのラインナップ(すみません)。昔だったら絶対に入らない種類のお店なんだけれど、床の餌箱を端から端まで漁って、聴きたかったレコードやジャケットがいい感じのレコードを探し出したりする体力もないし、たくさんのレコードを毎日のように買っているわけではないので、少々値段が高くてもこういうレコード屋で、しかも試聴して買うことができるのはラクだなぁ、なんて思ってしまう。

で、「始めていったお店では必ずなにか買え」という言葉もあるとおり、ドイツのラウンジピアノとちょっとソウルフルなストリングスのレコードを買ってきました。ちなみにバナナレコードではカンバック・マイ・ドーターズを購入。
この通りは井の頭公園への通り道でもないし、繁華街からもちょっと遠いし、いろいろなお店が出来ては、気がつくとなくなってしまっているので、このお店にはちょっとがんばってもらいたい。