「閑な老人」−尾崎一雄−

canoe-ken2005-11-01

1972年に発表された“作品集”。この人のような私小説(心境小説)場合、“作品集”と“随筆集”の区別がどのようにつけられているのか不思議。発表された媒体やコーナーの違いなのだろうか。ちなみにこの本は“作品集”と銘打たれていたけれど、隣にあった本の帯には“随筆集”と書かれてました。
私が、二宮に引っ越したのは1970年代の真ん中なので、ここに書かれているような1960年代後半の足柄・下曽我の様子は知らない。大きな松の木や神社、お祭りなど様子を読んでいて浮かべるのは、小田原周辺だったりする。実を言えば、今にいたるまで、足柄はもとより、曽我の梅林さえも行ったことがないし、気にかけてもいなかったので、ときおり著者が東京に出ていったり、子供たちが横浜から訪ねてくるときにでてくる大磯・二宮・国府津といった駅名や地名を目にして、再確認するということ多い。それも国府津の駅の車庫には、SLが並んでいたなぁ、なんて物語とはまったく関係ないことだったりする。平塚・大磯・二宮というのは、湘南でもなく、小田原・箱根でもないどうも中途半端な場所で、しかもベッドタウンとして横浜方面から流れてきた人が多いので、どうも両側の土地から文化的に浮いてしまっているような気がする。だから江戸時代から下曽我に住んでいたという尾崎家の昔の記憶などと、私が育った環境とは大きく分断されてしまっている。

朝、山手線に乗っていると、ペンギンと女の子が早川まで行くSUICAのCMが社内で流れている。なぜ早川なのだろうか。最近は関西でもSUICAが使えるみたいだけれど、東海地方では使えないみたいなので、早川がSUICAの利用範囲の最西端なのだろうか。と思って調べてみたら伊東まで使えるらしい。それならばもっと海がきれいな(多分)伊東まで行ってみればいいのに、とも思うけれど、免許を取り立ての頃、釣り好きの友達と箱根や伊豆にドライブに行って、その帰りに早川の港で休憩して、海で釣りをしている人を見たりしていた私としては、荒井由美の曲も含めてなんだか懐かしい気分。
ところで、早川といえば、私が子供の頃は無人駅だったのだが、今でもそうなのだろうか。CMでは駅員が出てきたような気がするが、駅員がいなかったら自動改札なんて簡単にすり抜けられるのでは、なんてことを思ったりもする(前は車掌がいちいち切符を改修していた、ような・・・・)。もっとも実際に早川の駅で降りたことはないです。その荒井由美の「やさしさに包まれたなら」は1974年の曲。あぁこれが1972年だったら・・・・この文章もまるくおさまったんだけどなぁ。